那須雪崩事故(2017年)の本当の原因|「安全登山講習会」で8名死亡・60年の経験が生んだ正常性バイアス

事故調査
※写真はイメージです

2017年(平成29年)3月27日午前8時半ごろ。栃木県那須郡那須町、那須温泉ファミリースキー場周辺の斜面。栃木県高体連登山専門部が主催する「春山安全登山講習会」に参加していた高校生と引率教員が雪崩に巻き込まれた。栃木県立大田原高校山岳部員7名・引率教諭1名が死亡、40名が重軽傷を負った。

この事故が最も重く問われるのは「なぜ雪崩注意報が出ていたのに訓練を実施したのか」だ。前日から雪崩注意報が発令されていた。積雪33cmを記録するほどの吹雪だった。それでも引率教員は「安全登山講習会」の名のもとで、雪崩が起きやすい急斜面にラッセル訓練のために生徒を誘導した。

項目内容
発生日時2017年(平成29年)3月27日 午前8時30分ごろ
発生場所栃木県那須郡那須町・那須温泉ファミリースキー場周辺斜面
死者8名(大田原高校山岳部員7名・引率教諭1名)
重軽傷者40名
主催栃木県高校体育連盟登山専門部「春山安全登山講習会」
気象雪崩注意報発令中・当日朝までに積雪33cm

時系列:事故当日の経緯

時刻出来事
3月26日 午前10:30宇都宮地方気象台が大雪・雪崩・着雪注意報を発表
3月27日 午前8:00教員8名・生徒40名が5班に分かれてスキー場周辺の斜面でラッセル訓練開始
午前8:30ごろ表層雪崩が発生。1〜4班合計約50名が巻き込まれる
午前9:33那須地区消防本部の救助隊が出動(雪崩発生から約1時間後)
午後〜順次生存者・遺体が救出される

なぜ雪崩注意報が出ていたのに訓練を続けたのか

栃木県教育委員会が設置した「那須雪崩事故検証委員会」の報告書(2017年10月)は、根源的な原因として「高体連及び登山専門部の計画全体のマネジメント及び危機管理意識の欠如」を挙げた。

事故当日、当初の計画は那須岳(茶臼岳)への登山だった。しかし荒天を理由に、現場の教員の判断でスキー場近くの斜面でのラッセル訓練に変更された。問題はこの変更の判断プロセスだ。

  • 変更後の訓練場所の安全性を確認する手順がなかった
  • 雪崩注意報が出ていたにもかかわらず、雪崩リスクのある斜面(傾斜約30〜40度)を訓練場所に選んだ
  • 講習会全体の責任者(委員長)は本部の旅館に待機しており、現場の状況をリアルタイムで把握していなかった
  • 班ごとの行動が分散しており、全体の安全管理が機能していなかった

「安全登山講習会」が生んだ正常性バイアス

那須岳での春山安全登山講習会は1958年に始まり、約60年の歴史を持つ。検証委員会の報告書は、この長い歴史が逆に問題を生んだと指摘した。「正常化の偏見(正常性バイアス)とマンネリズム(形骸化)」が関係者全体に広がっていたというのだ。

60年間、大きな事故が起きなかった。毎年同じ場所で同じ訓練をしてきた。「いつもやっている場所だから大丈夫」「去年も問題なかった」——この積み重ねが、「雪崩注意報が出ていても大丈夫」という誤った確信を生んだ。

皮肉なことに、この講習会は1950年に5名が死亡した谷川岳の雪崩事故を教訓として始まったものだった。「安全のために始めた講習会」が、60年後に同じ雪崩で8名の命を奪った。

「救助への連絡が1時間遅れた」という致命的な問題

雪崩に埋もれた人間の生存率は時間と共に急激に低下する。欧州の統計では雪崩発生から18分で生存率は93%、35分以降では30%以下に低下するとされている。一刻も早い救助が命を救う。

しかし那須の事故では、警察(消防)への通報が雪崩発生から約1時間後だった。現場の教員が無線で本部に連絡を試みたが通じず、助かった教員の一人が下山して旅館から連絡した。本部の旅館と現場の斜面の間に機能する緊急連絡手段が確立されていなかった。

もし即座に通報できていれば、生存者はさらに増えていた可能性がある。2時間以上経過してから生存者が2名救出されているという事実が、早期救助の重要性を示している。

刑事裁判・民事裁判の経緯

種別内容
刑事(一審)2024年5月、引率教員3名に禁錮2年・実刑判決(宇都宮地裁)
刑事(控訴審)2026年3月、東京高裁で控訴審判決
民事2023年6月、栃木県・高体連に計約2億9,270万円の賠償命令(宇都宮地裁)

この事故が変えたもの

  • 登山計画審査会の機能強化:登山の専門知識を持つ外部委員による審査を義務化(栃木県)
  • 高校生の登山活動範囲の設定:山のグレーディングに基づく活動制限を明確化
  • 高体連登山専門部の活動休止:この講習会を主催していた組織が活動を停止した
  • 雪崩ビーコンの普及促進:雪山活動時の雪崩ビーコン携行が推奨されるように
  • 緊急連絡体制の義務化:現場と本部をリアルタイムでつなぐ通信手段の確保が求められるようになった

当日の気象:なぜ「中止」が選択されなかったか

事故当日の那須岳周辺は悪天候だった。前日夕方から降雪が続き、当日午前1時までに積雪0cmだった観測点が午前9時までに33cmを記録した。吹雪で視界も悪く、ゲレンデはすでにシーズンを終えて運営されていなかった。こうした状況下で、訓練の中止・延期という選択は十分に可能だったはずだ。しかし講習会の委員長は本部の旅館に待機しており、現場の班ごとの判断に任せる形になっていた。全体の状況を把握して「中止」を判断する人間がいなかった——これが最大の組織的失敗だ。

「雪崩注意報」の意味:どれだけの危険を示しているのか

気象台が発令する「雪崩注意報」は「雪崩が発生しやすい気象条件」を意味する。必ずしも「今すぐ雪崩が起きる」ではないが、「急傾斜地での活動は危険」という警告だ。一般的な登山者はこの注意報が出た日に急傾斜地に立ち入ることを避けるべきだ。しかし那須の事故では、この注意報が出ているにもかかわらず、傾斜30〜40度の急斜面にラッセル訓練のために生徒を連れて行った。「安全登山を教える講習会」が、安全の基本を破っていた。

那須雪崩事故が問いかけるもう一つのテーマは「部活動の顧問教員の責任範囲」だ。引率教員の多くは山岳の専門家ではなく、教科担任として他の業務を抱えながら顧問をしている。「専門外の部活動顧問兼務」という日本の学校教育の構造的問題が、この事故の背景にある。教員が登山の専門知識を持っていなければ、雪崩リスクを正確に評価することは難しい。専門家ではない人間が専門的な判断を求められる——この構造を変えなければ、同種の事故は繰り返される。

探偵コラム:「経験」が「盲点」を作るとき

60年の経験は財産だ。しかし同時に、60年の経験は「過去に起きなかったことは今後も起きない」という思い込みを育てる。調査の現場でも同じことが起きる。長年同じ方法でうまくいっていた手順が、いつの間にか「なぜそうするのか」の理由を忘れた形骸化した儀式になることがある。

那須の「安全登山講習会」は、安全のために始まったはずだった。しかし60年が経つうちに「毎年やること」が目的になり、「安全を確保すること」が手段になった。手段と目的が逆転したとき、組織は最も危険な状態になる。「なぜこの手順があるのか」を問い続けることが、60年後の事故を防ぐ唯一の方法だ。

【参考資料】
スポーツ庁「那須雪崩事故検証委員会報告書」(2017年10月)
・栃木県教育委員会「那須雪崩事故の反省と再発防止に向けた取組」(2024年3月)
・防災科学技術研究所「2017年3月27日に栃木県那須町で発生した雪崩災害に関する調査研究」(2018年3月)

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